補講第14回 「面白いの裏面」
 

続いての質問は、菊花りょんさんです。メールでのやりとりの中でおもしろいものがありましたので、FAQに掲載させていただきました。

「この小説は面白い」って、どれだけたくさんの人が言ってたとしても、自分が面白
くないならば、その小説は自分の中では駄作なんだと思うし・・・。
反対に誰も面白くないと言ってても、自分が面白いと思えばそれは傑作になるんだと
も思います。
極端な話だとは思いますけど・・・。


個人が面白いと感じること、大衆が面白いと感じること

◆個人的感想を超えて
 アマチュアならそれでいいと思います。
 「おれはこれおもしろいと思う」「おれはこれつまらないと思う」、それで十分でしょう。面白い/面白くないと判断するのは自分の感性であり、他人の感性にけちをつけることはできません。自分が面白い、面白くないという表面で十分だと思います。
 でも、プロを目指すなら、「おれは」という個人的感想の枠にとどまっていちゃだめです。個人的感想を超越しなきゃいけない。面白いということの裏面に到達しなきゃだめです。

◆プロは、ただ批評/鑑賞するのではなく、分析するもの

 「おれは面白かった」「おれはつまらなかった」で終わっていては、それは個人的感想の枠にとどまっているってことです。言い換えれば、批評している、あるいは鑑賞しているということでしょう。
 面白かった/つまらなかったと感じること、言うことが悪いことだと言っているわけじゃありません。ただ、「面白かった」「つまらなかった」と個人的な感想を言ってそこで終わってたら全然プロとしてだめよってことです。
 プロってことは、大衆に向けて物語を発信するわけでしょ? それなら、少しぐらい大衆の感じ方を理解できていなきゃだめです。
 たとえば『シックス・センス』という映画があります。
 評判のいい映画ですが、実際に自分が見て「おれはつまらなかった」でとどまっちゃだめなんです。「なるほど、こういうところに反応しておもしろいと言っているわけね」というところまでつっこまなきゃだめなんです。
 自分がつまらないと感じていようと、たくさんの人が面白いというのならなぜ面白いかを分析すること。「(自分は)おもしろくない」「(自分は)つまらない」という次元に安住するのではなく、その次元を飛び越えて、「おれはつまらないけどみんなおもしろいと言っている。なぜだ? どういうところがおもしろいんだろう?」「自分は面白いけどみんなつまらないと言っている。なぜだ?」と突っ込んで考えること。それがプロには必要なのです。これ、一言で言うと分析ってことになるんですけどね。 

◆大衆が面白い/つまらないと感じる理由を分析してこそプロ

 自分が面白いと感じることと、こういう理由でみんなが面白いと感じているんだと知的に理解することとは、違います。
 大衆性のあるものを作ろうと思ったら、ある程度の数の人がおもしろいと思えるものに対して理由を突き止められなきゃだめです。
 自分はおもしろい。つまらない。  
 その感情を捨てろと言っているわけじゃない。必要なことです。ただ、そこだけでとまってちゃいかんと言っているんです。
 「自分はおもしろいけど、みんなはつまらないと言っている。うむ、確かにこういう部分があるからみんなはつまらんって言うだろうな……」
 とか、
 「自分はつまらんけど、みんなはおもしろいと言っている。うむ、確かにこういう部分があるからおもしろいんだな……」
 ということを、考えられるようにならなきゃ、書き手はだめなのよ、ということなのです。
 多くの人が「面白い」あるいは「つまらない」と感じる理由を分析してこそ、プロなのです。

 

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